タパス

何も考えず、働かず、南の島でのらーりくらーり過ごせたら、本当にそれは夢の様です。


天国は南国の様な、そんな場所であると信じ、

この生が終われば、ちょっとの間はそんな場所に行けるのだと思うこととして、

なんだかんだ言っても、この地球上にいる間は、タパスを実践したいと、

根底では魂が叫んでいるのを感じていますので、出来るだけ学び続けたいと思うのです。


前回のスーリャナマスカーラのブログにて、

タパスをチラッと書きましたが、

意味不明と思った方もおられると思いますので、

出来るだけわかりやすく書けたらと思うのですが、

物書きではございませんので、とても下手かと思われます。
どうぞお付き合いくださいませ。


さて、タパス=苦行と多くは訳されていますが、

辛い事を我慢して自分に鞭を打つ様な事では決してありません。


サンスクリット語でタパスは、炎、熱と言う意味があります。


スペインのフラメンコダンサー、ラ・チャナのドキュメンタリー映画を観た時に

これぞタパスだと感じました。


魂で踊り続けた生涯と、困難があっても踊り続けたいと貫いた人生、

ラ・チャナの娘さんは、舞台で踊っている母を見て、

その迫力に毎回圧倒され、神様が連れて行ってしまうんじゃないかと、

恐怖すら覚えたそうです。

そんな奇才、ラ・チャナは映画の中でこんな事を言っています。


’魂に音を染み込ませれば、体は勝手についてきてくれる’’

'私は愚かだけれど、私の魂は愚かではない’

このセリフを見た時はたと、タパス=情熱ではないかとそんなふうに思ったのであります。



歴史上の人物、玄奘の人生もまた、これぞタパスであります。


中国、唐から様々な困難を乗り越え、

4年の歳月をかけ、天竺(インド)へと向かいます。


出発当初は何十人も付き添ったそうですが、

道中、雪崩やなんやで生きたえた人たちがいたりと、

道のりはとても過酷でした、天竺に到達した時は、玄奘一人だけだったと言われています。


この目で仏教の本質を知りたい、

仏教の真実を学び、中国に持ち帰ると熱く決意した玄奘の魂を、

誰も止める事はできないどころか、偉大な未知のパワーすら働き、

玄奘を中国から天竺へと導いたのです。


天竺のナーランダー寺院に到着した時、

玄奘はサンスクリット語を既に話したと言われています。

仏教に捧げた人生、サンスクリット語の勉強もしっかりしています。


ナーランダー寺院で5年間仏教を学び、

仏陀が悟りを開いたブッダガヤの木の下に到着した時、

人生の至福を感じたそうです。


唐から天竺まで道のり4年

ナーランダー寺院で5年

天竺から唐まで道のり4年


残りの人生は自ら持ち帰ったインドの仏典の翻訳に捧げたと言われています。

本当の仏教を、自らの目で見て、耳で聞いて学び、中国に持ち帰りたい!

と情熱を燃やした人生、これぞタパスではないかと思います。


ここまでのすごい事は程遠いですが、

一回の人生、タパス=情熱を注いで生きる事で、

魂はさらに炎をます様に、進化していくのではないかと思うのであります。


そして、このタパスへの経験は、

地球上でしか味わう事のできない、私たちに与えられた、

神様からのプレゼントではないかとそうも思うのであります。

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玄奘(げんじょう、602年〜664年)は、唐代の中国の訳経僧

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