何故そこまでメディテーション?

一年の思考の巡りをずっと観察した場合、

私たちはどんな事をランダムに考えているのでしょうか?


自分すらも気付いていない、

自由なマインドを固く押し付けてしまっている、

自由になる事を許さない、

深く根付いてしまった思考の癖があるかもしれません。

そして、何かを目にしたり、聞いたり、嗅いだりする事でその思考の癖が刺激されています。

思考の癖に気付けたとして、根本から思考の癖を変える努力をすると、もしかしたら人生が変わるかもしれないのです。


ですが、思考の癖をみていく作業は単純な事ではありません。


毎日一定時間座って、頭の中の動きを観察しないといけないのです。


もしかしたら将来、頭の中にチップを入れれば、

24時間思考の動きを観察してくれて、

あなたはこれを見た時にこの思考になります!’

とAIが指摘してくれる日がくるかもしれませんが、

それまで生きてはいれませんし、根から変えようとした場合、

魂を揺さぶらないといけませんので、

その為には必ずプロセスが重要となります。

神の子イエスや仏陀でさえ、目的をはたす為には、様々なプロセスを介さなければいけませんでした。

イエスは神に何度も問い苦しみます。

ゴルゴダの丘までの長いプロセスを経て、その生涯を見るものの魂を揺さぶらせるのです。

ゴータマですら気づきを得るために極限まで苦難します。様々なプロセスを経て仏陀へと転身します。
そこまでのことは我々には程遠いのですが、

重要な事は、プロセスを避けては進んだとしても、

魂を揺することはできないのです。


我々の思考には、時に心の底から湧いてくる、メッセージがあります。

でも時に、本来のメッセージを埋もれさせてしまう、

深く根付いてしまった思考の癖かもしれませんので、

意識を持って、ランダムな思考の動きを見、それらを分別して、思考の癖に気付ける力を培う必要があります。

本来のメッセージとここで書きましたが、それは簡単に考えれば、

正直な思いであったり、直感であったり、進む道を示すものであったり、様々です。


目を閉じて呼吸に集中する事で、ランダムに動く思考を探っていき、思考を変える習慣を根付かせる事で、生き方が変わるのかと思います。


マザーテレサの言葉にこんなものがあります。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


ヨーガの心得にヨガ八支則があります。


初歩の心得アヒムサでは、非暴力を示しています。


そしてそれは、肉体的な暴力だけでなく、精神的な暴力、思考、言葉への暴力も心得なければいけないと示しています。

アヒムサでの、個人の思考の癖に気をつけれない場合、次のステップに進む事すらできないのです。

そしてここの言う非暴力とは、必ずしも他人に対してだけの心得ではなく、

自分への精神への攻撃となりうる思考をも気をつけないといけないと示唆しています。

私たちの思考は力強く、それは私たちの進む道を定め、なんでも可能にします。


アーサナだけをするのではなく、思考の観察をする努力をおこたらず、

一日の何分でもいいので意識をおく時間を忘れずに、

運命すら変えるかもしれないこの習慣を身につけ、

与えられたこの人生を豊かにしたいと思うのです。