正直である事こそ気品

”ヨギーの皆様、我が社の活気的な新商品、イミディエイトフレキシがついに発売となりました。新しい世界へようこそ!一錠飲むだけ!ずっと出来なかったあんなポーズやこんなポーズ、カポターサナもなんのそのアーサナとの葛藤とおさらばし、美しいヨガのポーズを楽しみましょう”


こんな方にご愛用頂きました。”これを飲んだ翌日から逆立ちのままムドラを組める様になりました。インスタグラムのフォロワー数が増え、今や人生薔薇色です!ありがとうイミディエットフレックス”


なーんて、ちょっとしたジョークなのですが、実際の所は、世の中こんななんでしょう。現在ヨガをやっている人たちが、この商品に手を出す確率が少ない事を祈ります。


さて、結果はものすごく重要であります。しかし、結果に向かうプロセスこそが何にも変えがたい瞬間なのでしょう。


体がもともととても硬い私ですが、練習を重ね、ヨガの素晴らしさに気づけました。そして体が思う様に動かない経験があるからこそ、安全な練習を研究する流れとなりましたので、この全てのプロセスは避けては通れないのであろうと心の底から思うのであります。


パタンジャリのヨガスートラ、インテグラルヨガにこの様な事が書かれています。
今日撒いた種がどれくらいの根を張ったか知りたくて、翌日にはそれを掘り返してみるという様な子供じみたことはやめよう。我々にはこれら三つの資質、すなわち忍耐と献身と信念が必要である。

ヒンドゥーの聖典に出てくる小話では、あと4回生まれ変わったら、天界に行けると聞かされ絶句したヨギーと、一本の木の葉っぱほど生まれ変わったら、天界に行けると聞かされ大喜びしたヨギーの話があるそうです。二人のヨギーの実践に対する意識はこんなにも違うのですから、もちろん後者の方が早く聖天に行く事となるのだそうです。


瞬間瞬間の意識を大切に、変な手を加えずに、正直に進んでいきますと、きっといつか気づけば、美しいポーズを得るよりもさらに美しい、”気品”を得る事ができるのではないか?ヨーガとは美しいポーズを取る事よりも、美しい生き方を選ぶ事なのだろう、とそんな風に思う今日この頃でありました。